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日々の出来事をつらつらと・・・。犬と猫が邪魔をします。。。
by marjoram_house

非難する資格などない

「子猫殺し」に抗議相次ぐ 坂東真砂子さんのエッセー

このエッセーを読んでみて、私は坂東さん対して非難の気持ちは湧きませんでした。
坂東さんが住んでいるタヒチがどんな環境にあるのかわかりませんが、昔の日本でもごく普通に見られた光景ではないかと思うからです。
今でも方法と経緯は違っても、行政での野良犬野良猫の殺処分は行われているし、それを残酷だと言う人はいても、その存在がなくなることはないのです。
昔のように自分たちが飼っている犬猫の間引きを個人がするのと、今のように行政が人間に危害を及ぼす可能性のある野良たちを殺処分するのでは、人間社会のバランスを保つ為という観点で考えるならば、大きな違いはないように思えます。
共通していることは、どちらも人間の一方的な都合の為ということでしょうか。
坂東さんのように仔猫殺しの痛みと悲しみを丸ごと受け止めて自分でするか、煩わしことや残酷なことを第三者に任せて、自分はやっていないと主張するかの違いでしょう。
避妊去勢にしても、産ませるつもりがない、あるいは病気を避ける為という理由で、今では常識化しているけど、これにしても飼う側の偽善者的な都合が見え隠れします。
そもそも犬や猫は種の保存の為に多産であり、産み落とした子が全て健康に育つことなど想定していません。自然界の法則で間引かれて、より強い子孫が生き残ることが理想であり、人間の勝手な「可哀想」という感情は、犬猫にしてみれば余計なお節介でしかないのかも知れません。
こんな事を書いておきながら、仔猫が母猫からはぐれ路頭に迷っていたら、拾ってきてせっせと里親探しをしてきた私です。
人間の一方的な都合の理不尽さも身に沁みて感じています。
それでも折角この世に生まれておきながら、その存在を人間の都合で潰されてしまうにはあまりに忍びなく、ミャーミャーと鳴く仔猫に情を奪われ、見て見ぬ振りがなかなか出来ません。
そして私の勝手な都合で、3ヵ月後にはアイルも去勢手術をする予定でいます。
もともと坂東さんを非難する資格など、私にはないのです。



こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。
世の動物愛護家には、鬼畜のように罵倒されるだろう。
動物愛護管理法に反するといわれるかもしれない。
そんなこと承知で打ち明けるが、私は子猫を殺している。
家の隣の崖の下がちょうど空地になっているので、生れ落ちるや、
そこに放り投げるのである。
タヒチ島の私の住んでいるあたりは、人家はまばらだ。
草ぼうぼうの空地や山林が広がり、そこでは野良猫、野良犬、
野鼠などの死骸がころころしている。
子猫の死骸が増えたとて、人間の生活環境に被害は及ぼさない。
自然に還るだけだ。
子猫殺しを犯すに至ったのは、いろいろと考えた結果だ。

私は猫を三匹飼っている。
みんな雌だ。
雄もいたが、家に居つかず、近所を徘徊して、やがていなくなった。
残る三匹は、どれも赤ん坊の頃から育ててきた。
当然、成長すると、盛りがついて、子を産む。
タヒチでは野良猫はわんさかいる。
これは犬も同様だが、血統書付きの犬猫ででもないと、もらってくれるところなんかない。
避妊手術を、まず考えた。
しかし、どうも決心がつかない。
獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。
その本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか。
猫は幸せさ、うちの猫には愛情をもって接している。
猫もそれに応えてくれる、という人もいるだろう。
だが私は、猫が飼い主に甘える根元には、餌をもらえるからということがあると思う。
生きるための手段だ。

もし猫が言葉を話せるならば、避妊手術なんかされたくない、子を産みたいというだろう。
飼い猫に避妊手術を施すことは、飼い主の責任だといわれている。
しかし、それは飼い主の都合でもある。
子猫が野良猫となると、人間の生活環境を害する。
だから社会的責任として、育てられない子猫は、最初から生まないように手術する。
私は、これに異を唱えるものではない。
ただ、この問題に関しては、生まれてすぐの子猫を殺しても同じことだ。
子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。
避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ。
そして、この差の間には、親猫にとっての「生」の経験の有無、子猫にとっては、殺されるという悲劇が横たわっている。
どっちがいいとか、悪いとか、いえるものではない。
愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ。
獣にとっての「生」とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ。
生き延びるために喰うとか、被害を及ぼされるから殺すといった生死に関わることでない限り、人が他の生き物の「生」にちょっかいを出すのは間違っている。
人は神ではない。
他の生き物の「生」に関して、正しいことなぞできるはずはない。
どこかで矛盾や不合理が生じてくる。
人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。
生まれた子を殺す権利もない。
それでも、愛玩のために生き物を飼いたいならば、飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない。
私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。
もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。(作家)

by marjoram_house | 2006-08-24 17:17 | ニュース
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